「気づきのパワー」実況中継実践編(智慧による自己防衛編)
みなさまごきげんよう。やけに仏教に詳しいあの人です。
今日は気づきの実況中継実践編(智慧による自己防衛編)についてお話しさせていただきます。
これを体得すると、自分がなにか不快なことに見舞われた時に、さらなる深み(二次災害)にはまってしまうリスクを激減させることができます。
やり方としては、ただただ自分の内側で生じている不快感や頭の中のおしゃべりに気づき続けることです。
これから具体的に、わたしが苦しみに見舞われた時に、どのような対応をしているのかということを実況中継していきます。
以下は実際にあったやり取りです。
「」は実際に言葉に出しているセリフ
( )はわたしの中を駆け巡る感覚や思考(わたしが気づけている感覚や頭の中のおしゃべり)です。
★★★
Aさん「前から思ってたんですけど、あなたの言動はおかしいです。直して下さい」
わたし「え?(むっかー!なに言ってんだこの人。このオレサマに向かってなんてこと言うんだ。むっかー!っていうか、そもそもなんだこの人。物の言い方っていうのもがわかってないな。そんな言い方で人が言うことを聞くと思ってるんですか?え、でもこの人が言ってることが正しいとしてわたしの言動がおかしいってほんと?ほんとなの?え、もし自分が気づいてないだけでほんとだったらどうしよう…えーん!悲しいよーえーん!くっそー、この眼の前にいるわたしを不快にした原因であるこいつをわたしの前から消したい消したい消したーい!でも実際には消せなーい!うぅー苦しい苦しいー!)」
A「え?じゃなくて、直して下さいって言ってるんです」
わ「え?えーっと?ん?なにがですか?(はっ、気づけた!自分の心の中のひとりごとと、不快物質が今もこうしてわたしの中を駆け巡っていることに気づけた!あらあら、呼吸も浅くなってるし、鼓動も速くなってるし、視野も狭くなってる…あぁそうかそうか…今のわたしはいつもの状態ではないのか…つまり混乱しているということか…ということは頭が悪くなっているし、IQが下がってるということか…今のこんな状態でなにか反射的に発言してもロクな結果は生まないことは確実…だって今のわたしはおバカさんになってるのですから…そうそう、こんな時にできることは、この混乱状態が戻ることをただただ待つこと…この混乱したおバカさん状態の時に下手に余計な言動をしてしまって二次災害を起こさないこと…そうだ!今やるべきことはこの混乱状態が回復するまでただただ理性をもって耐え忍ぶことなんだ!忍耐忍耐わたし!堪忍堪忍わたし!がんばれがんばれわたしー!)」
A「いや、なにがですか?じゃなくて、こうこうこういうところを直してって言ってるんです」
わ「あーはいはい、なるほどなるほど(よーしよしよしよしよし、少しずつ呼吸も元通りになってきましたよ…ふっふっふわたしは知っているのですよ…この世は諸行無常なので今のわたしの混乱状態がずっと継続できないということを…よーしよしよしいいですよいいですよ…ただ完全回復まではもう少し時間がかかりそうです…そうですね…ここはのらりくらりと神妙に考えているフリをしつつ時間稼ぎをして回復を待ちますか…なんというかあたかも真剣に聞いているフリをして結論を出さない時間稼ぎは得意ですからね…)」
A「で、こうこうこうだから」
わ「はいはいはいはい、ふむふむなるほどなるほど(よーしよしよし落ち着いてきた…完全に苦しみが抜けました…体を駆け巡っていた不快感も完全に抜けました…端的に言うと完全に回復しましたよ…体感IQも元に戻りました)」
A「…ということで直してもらえますか?」
わ「あ、あなたがおっしゃりたいことは理解できました。考えます。」
A「よろしくお願いしますよ」
数分後
わ「あのー先ほどの件、認識の齟齬があったらいけないのでメールしておきましたのでご確認お願いします(さっきのやり取りのように言葉で言った言わないになると、もしこれが争いごとに発展して第三者に判断してもらわなくてはならなかった場合、どちらの言い分が正しいか第三者が判断できなくなりますからね…ひとまず文字というこちらの得意なフィールドにこの人を引き込みましょう…わたしはいつもツイッターという過酷な状況に身を置きながらものすごい緊張感のもと文章を日常的に書いているのです…クソリプ耐性、炎上しない言葉のチョイス、第三者を味方につける立ち回り方、あなたとはそのあたりの格が違うのです…クソリプで鍛えられたツイッタラーをナメるなよぉおおおー!!)」
A「うーん。そうですね。こういうことです。」
わ「ありがとうございます。わかりました。それではひとつひとつ、なぜわたしがこのような言動をしたのかについてご説明させていただきますね。それをもとにわたしのどの言動がどうおかしいか、そして、その場合、どれをどう改善していくか建設的なお話をしていきましょう。にっこり。(よーしよしよし、これでまともな議論ができる舞台がととのいました。文章を通してやり取りをすれば感情的な部分は軽減されますし、仮に相手が感情的で変なことを書いてきたら、その文章を第三者に見せて、どちらがまともか判断してもらえればいいですからね、あぁーよかったよかった。怒りに身を任せて変な反応をしないで理性的に対応できてよかった)」
という感じです。
★★★
このやり取りにおける最大のポイントは、最初のムカッとした時に、そのまま怒りや悲しみに身を任せた反応をしなかったことと、突発的に生じた「ムカッ」に気づき、それが落ち着くまで理性を持って待ったことです。
この、ムカッに気づけるようになるには気づきの力が必要で、その力は瞑想によって鍛えることが可能です。
ちなみにわたしがこのように耐え忍んでいられるのは、別にわたしが聖人君子だからなのではなく「混乱した状態でなにか行動を起こしても、その時の自分はおバカさんになっているので、ロクな結果にならない」ということを心の底からわかっているからです。
つまり、冷静に損得勘定で考えた時に、行動しない方がおトクだと体感として知っているので理性を持って耐えているということです。
これは、やみくもにただただ耐える我慢とは違います。仏教的に我慢とは怒りで悪。反対に理性を持って耐えることを忍耐、堪忍と言い、これらは最上の修行としています。
今回はこのような感じで、自分の中の苦しみにフォーカスして実況中継しましたが、もっと深く観察していくと、自分だけでなく、相手の中の苦しみにもフォーカスできるようになります。
そうなると、相手に対する慈悲心が芽生え、心の底から相手に対し、慈悲の対応ができるようになります。
仏道では結果が「自他の抜苦与楽」となるような言動を推奨しているため、次回は同じケースを少し深堀りし、慈悲対応した場合についてご紹介させていただきます。
以上です。
こちらの記事をお読みいただいているみなさまと、いきとしいけるものが幸せでありますように。
それではみなさまごきげんよう。やけに仏教に詳しいあの人でした。