「気づきのパワー」について前提として知っておくと理解が深まること
みなさまごきげんよう 。やけに仏教に詳しいあの人です。
今日は瞑想で得られる「気づきのパワー」についてお話させていただきます。
色々な精神世界系の本を読んでいると、苦しみに対する対処方法として共通して、
- 心に発生した感情を肯定も否定もせずにただただ眺める。
- それにただただ気づき続ける。
- 感情と一体化せずに観察し続ける。
- それだけで苦しみは光に包まれ消えていく。
的なことが書かれています。
最初にこれらのことを読んだ時に「へぇーそんなもんかねぇ」「でも、全然問題解決になってなくない?」「ただ眺めているだけだなんて現実逃避では?」と思っていました。
ただ、もしもこれらのことがウソなのであれば、ここまで共通したことは書かれていないだろうなーとも思い、試しに実践してみることにしました。
結論として、本当に苦しみが消えていくのでとってもおすすめなのですが、これからそのカラクリについてご説明させていただきます。
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まず、前提として知っておいていただきたいのが、
- 苦しみ(不快感)が生じることそのものを避けることはできないこと。なにかしらの原因があってその結果が生じているので、それが生じてしまうこと自体は避けられないこと。これは尿意が生じることを避けることができないことと同じです。
- 次に、苦しみは常に変化を続けており、長く継続することができないこと。
- 最後に、自分が苦しみに気づけている時は、自分は苦しみと一体化していないこと。
これらのことを前提として知っておくと理解(体感)がグッと早まります。これらのことを頭だけで理解するのではなく、実際に瞑想などにより観察して体感すると「あ!本当だ!(一種の悟りですね)」となります。
まとめますと、
まず「全てのことには原因があるがゆえに、その結果として苦しみが生じているので、苦しみが発生してしまったこと自体はしょうがないのだ」ということを知っていて、
次に「たしかに今、まぎれもなく自分の体の中に不快感が駆け巡っているけれど、この不快感も必ず変化して消えてしまうのだ」ということを知っている。
変な言い方になりますが「自分がずっと苦しんでいたいと思っていても苦しさは消えていってしまう」ということを知っている。ということにもなります。
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人が不安になるのは、恐怖の正体がわからない時と、終わりが見えない時です。まず、苦しみの正体についてですが、苦しみの正体とは「なにかしらの原因があったことにより結果として生じた自分の意思とは関係なく生じた不快物質」です。
そして、苦しみの終わりについては「この苦しみは、放って置いたら、もっと言えば、別に放って置かなくても勝手に変化し消えていってしまう(諸行無常)性質である」ということを知っていること。
つまり「苦しみは必ず終わりをむかえるものである」ということを知っていると不安感がなくなります。これだけでかなり安心感が違いますね(反対に喜びも必ず終わりをむかえす)。
最後に、自分がエンドレスで苦しんでいる(ように感じる)時は、苦しみと一体化している時なので、苦しみと一体化しないことがポイントになります。その具体的な方法が「自分は今、不快感に包まれているということに、ただただ気づくこと」です。
そうすることにより、自分の中で苦しみを再燃させることがないので、最初の苦しみが消えるのを冷静に待つことができるのです。これらのことについて、わたしは「二次災害を防ぐ」という言い方をよくするのですが、気づきのパワーで出来るようになることをまとめると、
- 今、自分が不快であることに気づけるようになる。
- 苦しみと一体化しなくなる(一体化している自分に気づけるようになる)。
- この苦しみもどんどん変化していっていることに気づけるようになる。
ということになります。
以上です。
次回は、実際にわたしが苦しみに見舞われている時の実況中継をご紹介させていただきます。
こちらの記事をお読みいただいているみなさまと、いきとしいけるものが幸せでありますように。
それではみなさまごきげんよう。やけに仏教に詳しいあの人でした。