瞑想で得られるもの(気づき)
みなさまごきげんよう。やけに仏教に詳しいあの人です。
今日は瞑想で得られるものについてお話しさせていただきます。
まず、ミモフタモナイことを言うと、瞑想は何かを得るものではなく、ただただ気づくことです。
究極的には、全ての苦しみを乗り越えた境地である「涅槃」にいたることを求め精進する(意欲ですね)のですが、基本的には求めるものではありません。
たとえば「神秘体験をしたーい!」とか「神的な存在にアクセスしたーい!」とか、そう言ったものを求めるものではないことにご注意ください。
その上で、わたしが瞑想で得られたものをご紹介します。
結論としては「気づきの力」です。仏教的には「定(じょう)」というパワーです。
この力がつくと、自分の体の動きや感覚そして最終的には思考に気づくことができるようになります。
パワフルプロ野球の能力のように、一回身につくと失われることはありません。
仏教では「無知」と言う「今自分が何をしているかわからない状態」が苦しみを生むと教えています。
この「無知」の苦しみを打ち破るパワーになるのが「気づき」の力で、それを体得するために必要なトレーニング(修行)が瞑想なのです。
次回はこの気づきのパワーについてご説明いたしたいと思います。
以上です。こちらの記事をお読みいただいているみなさまと、いきとしいけるものが幸せでありますように。
それではみなさまごきげんよう。やけに仏教に詳しいあの人でした。