やけに仏教に詳しいあの人のブログ

プロフィール:https://urlzs.com/4GQEZ:ツイッター:https://twitter.com/waraikatahohoh

「気づきのパワー」実況中継実践編(慈悲による自他の抜苦与楽編)

みなさまごきげんよう。やけに仏教に詳しいあの人です。

今日は前回の

 

気づきの実況中継実践編(智慧による自己防衛編)

waraikatahohoho.hatenablog.com

 

に続き

気づきの実況中継実践編(慈悲による自他の抜苦与楽編)

についてお話しさせていただきます。

前回の「智慧」が「苦しみから自分を守るバリア」であり、同時に「混乱により生じる可能性がある自分発生の二次災害を防いでくれれるもの」であったのに対し、

今回の「慈悲」は「相手の中の苦しみの観察によって、自分も相手も苦しんでいるんだ。ということに気づけることで、自分と相手に対する憐れみの心が生じ、それまで生じていた怒りや悲しみが消え、そのエネルギーが徐々に形を変え、やがて慈悲のエネルギーに昇華し、当初感じていた怒りや悲しみが、いつのまにか思いやりの気持ちになる」というものです。

★★★

イメージとしては、自分に対して向けられた怒りのエネルギーの感情によってダメージを受けるのではなく、むしろそのエネルギーをうまく活かして、慈悲のエネルギーに変換してしまう感じ、言うなれば、ドラゴンボール人造人間19号、20号のような感じであり、相手の力をそのまま返す合気道のような感じとも言えます。

イメージ感としてお伝えしたいことは、いずれも「自分に向けられたエネルギーで自分が傷つくことなく、そのエネルギーを違う形に変えて返す」ということです。

やり方としては、まず、ただただ自分の内側で生じている不快感や頭の中のおしゃべりに気づき続け、同時に「全てのいきとしいけるものの言動は、苦しみからの回避のためにある」ということを考えながら、自分と相手の中の苦しみにフォーカスし観察することです。

それではこれから具体的に、わたしが苦しみに見舞われた時に、どのような対応をしているのかということを実況中継していきます。

以下は実際にあったやり取りです。

「」は実際に言葉に出しているセリフ

  ( )はわたしの中を駆け巡る感覚や思考(わたしが気づけている感覚や頭の中のおしゃべり)です。

★★★

Aさん「前から思ってたんですけど、あなたの言動はおかしいです。直して下さい」

わたし「え?(うっ、苦しい、うわー、わたし今苦しんでる!苦しんでるー!不快ー!不快すぎるー!突然やってきた苦しみから回避したくて、怒ったり、悲しんだり、無視したりしようとしてるー!うぅー苦しんでるー!でもでも苦しんでる最中は変な言動をしてしまうから、苦しみが抜けるまでは明確な返事はしないで時間稼ぎしよう)」

A「え?じゃなくて、直して下さいって言ってるんです」

わ「え?えーっと?ん?なにがですか?(まてまてまてまて、相手の言動も苦しみの回避だから、この人も苦しんでるのか。そうだよ、そもそもこの人が幸せだったら人にこんなこと言わないもんな。少なくともこの人は今幸せではないんだな。かわいそうに。でもわた し自身も今苦しんでるから、それが落ち着くまで返事は先延ばしにしよう。今は苦しいですが、この世は諸行無常なので、この苦しみもずっとな維持できませんしね)」

A「いや、なにがですか?じゃなくて、こうこうこういうところを直してって言ってるんです」

わ「あーはいはい、なるほどなるほど(あ、少し落ち着いてきた…落ち着いてきましたよ…そうか、取りあえずわかったことは、わたしも苦しい、この人も苦しい、みんな苦しいんだ。あぁ、なんて悲しいんだ。ここには登場人物が二人しかいないのに、わたしもこの人もどちらも苦しんでいるだなんて…)」

A「で、こうこうこうだから」

わ「はいはいはいはい、ふむふむなるほどなるほど(しかし、本当にわたしもこの人もかわいそうだなぁ、ほんとわたしとこの人の苦しみが抜ければいいのになぁ…あ、なんだかこの時点で最初の怒りとか悲しみが消えて、憐れみの心が生じてきてるな。なんとか、自分とこの人の苦しみを抜く方法はないかなー。よし、今からその方法を探すことに頭を使うか)」

A「…ということで直してもらえますか?」

わ「あ、あなたがおっしゃりたいことは理解できました。考えます(よーし、考えよっと。さぁーて、結論が自他の抜苦与楽になるような方法を考えますよー)」

A「よろしくお願いしますよ」

数分後

わ「あのー先ほどの件ですが、Aさんをイヤな気持ちにしてしまってすみませんでした(この人が苦しんでいたのは事実ですからね)」

A「はい。わかっていただければいいですよ」

わ「ただ、わたしもこれこれこういう理由であのような言動をしていたので、それだけはご説明しておきますね(相手に言われて本当にそうだなと思うところは取り入れ、反対に納得できず、言わないままでいると苦しいことは言っておきましょう。大切なのは自他の抜苦与楽。このままでは他の抜苦与楽(自己犠牲)になってしまいますからね)」

A「はい。わかりました。」

という感じです。

ただし、たまーにAさんの頭がおかしいパターンもあるので、その場合はAさんに巻き込まれないようにっこりと笑って敬遠しておきましょう。

★★★

このやり取りにおけるポイントは、最初のムカッとした時に、そのまま怒りや悲しみに身を任せた反応をしなかったことと、突発的に生じた「ムカッ」に気づき、それが落ち着くまで理性を持って待ったこと(智慧による自己防衛)と、

自分も相手も確実に苦しんでいるという観点で自他を観察することで「なんて悲しい世界にわれわれ二人はいるんだ!」「この苦しみがなくなってくれればいいのに!」とその怒りのエネルギーを慈悲のエネルギーに昇華させたことです。

この段階にくると、自分の頭の中の考えごとが、自分と相手の苦しみを抜く方法にフォーカスされるので、最初の怒りについて自然と考えなくなります(この時点でもう苦しみが抜けてますね)。

正確には、これまであった苦しみのエネルギーが消えたのでなく、そのエネルギーが慈悲のエネルギーに変容したということです。

★★★

今回はこのような感じで、自分と相手の中の苦しみにフォーカスして実況中継しました。

ここで大切なのは「本当の本当の本当に慈悲の心が芽生えるまでは、中途半端に無理にとりつくろった言動をしないこと」です。

なぜならば、同じ「さきほどはすみませんでした」という言葉でも、その言葉の根底が「愛」か「恐れ」かで結果が変わって来てしまうからです。

たとえば「この人に嫌われたくない」とか「とにかくこの場を穏便に済ませたい」などという気持ちで「すみませんでした」と言った場合、その根底には「恐れ」があるため、結果として恐れを引き寄せることになります。

せっかく(?)謝っているのに、そのような事態になったら損ですよね。

ですので、そのような時は、さっさと偽善的に謝ってしまいたい気持ち(苦しみ)をぐっと理性を持ってこらえ(苦しみが抜けるまで)、神妙な面持ちで黙っていた方が無難です。

やがて、本当の本当の本当に、自分も相手も苦しんでいるということがわかると、心の底から、相手の苦しみを抜きたいという気持ちが生じるので「愛」のある「すみませんでした」を言えるようになります。

それは結果として愛のある結果を引き寄せます。仏教的に愛という言葉は少しふさわしくないとは思いますが、ニュアンスとしてとらえていただければと存じます。

★★★

仏道は「智慧(気づき)」と「慈悲(自他の抜苦与楽)」の両輪の実践です。

智慧は自分を苦しみから守るバリア。

慈悲は自分と相手を苦しみから救う癒し。

たとえるなら

智慧は「お医者さん」

慈悲は「看護師さん」でしょうか。

具体的に、

智慧は手動瞑想とヴィパッサナー瞑想で、

慈悲は慈悲の瞑想で鍛えることができます。筋トレのように、やればやるだけ鍛えられます。そして、身についた力は落ちることはありません。

瞑想や日々の気づきの実践により、自分の中に智慧と慈悲を同居させ育むことで、みなさまが苦しみを乗り越えることができますよう心から祈念しております。

以上です。

こちらの記事をお読みいただいているみなさまと、いきとしいけるものが幸せでありますように。

それではみなさまごきげんよう。やけに仏教に詳しいあの人でした。