やけに仏教に詳しいあの人のブログ

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クソリプ苦から解放されました

みなさまごきげんよう。やけに仏教に詳しいあの人です。

みなさまはクソリプに苦しんでますか?わたしは苦しんでおり、実際にメンタルをアレして4か月間(2021年1月〜2021年5月)ツイッターをお休みした経験がございます。

そんなわたしが今回ちきりんさんの新刊を読み、あ、こうすればクソリプ苦から解放されるのかーと気づき、実際に実践したところ、その効果を実感したため、今回はクソリプからの解放についてお話しいたします。

読んだ本はちきりんさんの新刊「自分の意見で生きていこう」という本です。

端的に内容を申し上げますと「意見と反応の違いについて知ろう!そんじゃあね♪」というものです。

みなさまは意見と反応の違いがわかりますか?

意見と反応の違いについてご説明する前に、まず、意見についてハッとしたことがありました。

それは、意見には正しい意見や誤った意見はないということ。

1+1=2のように、正解があるものには正誤があるけれど、意見には正しい意見はないし、誤った意見もない。ということです。

今まではこのあたりをごっちゃにしていたのですが、こちらの本を読んだ時にとてもすっきりしました。

それはちょうど、初めてひろゆきさんの「それってあなたの感想ですよね?なんかそういうデータあるんですか?」に出会った時のすっきり感に似ていました。

このあたりがごっちゃになっていた時は、ツイッターのリプライが全て均一的に見えていたため、どれがクソリプなのか、的を射た意見なのかがわからず振り回されていましたが、あ、なーんだこれはこの人の感想か、ということがわかると、その感想リプライについては肯定も否定もする必要がないので気が楽になりました。あ、あなたはそう思ってるのね。という感じです。

一方で「なんかそういうデータで語ってくる人」に対しては、何をもとにそのリプライをしてきているのかがわかるので(言い方のキツさは別にしろ)、リプライからダメージを受けることはまずありません。

これらのひろゆきさんの「感想かデータか」と同じように、ちきりんさんの本は「それってあなたの反応ですよね?あなたのポジションはどこですか?なんかきちんと考えた意見あるんですか?」ということを教えてくれました。

ちなみに仏道では「誤った見解を持つこと(特にその意見に執着すること)から苦しみが生じる」と教えており、これがまた実際にそうなので、わたしはこれまで意識的に見解を持つことを手放していく訓練をしていました。

事実、手放す訓練を続けることで実際に苦しみが減っていったので、それはそれでありがたかったのですが、最近「なーんか自分は極端に片寄っていないかなぁー」と思っていたところでした。

ちょうどそのような時に出会ったのがこの本で、わたしのなかのもやもやをキレイに言語化してもらった感じがしました。いやー本当にわたしって運がいいですね(水野晴郎さん風に)。

これまでのわたしはツイッターでの炎上を恐れるあまり、たとえ後でどんなリプライをもらっても、いかようにも回答できる全方位的なツイートを心がけてしていました(こずるいですね)。

要は、あることについて賛成か反対かを明確にしてしまうと、どうしても対立構造が出来上がってしまい「それは違うと思います!(ふがふが)」的な鼻息の荒いリプライを誘因してしまうので、それを避けるためにあえて明確なポジションを取らず、賛成か反対かを明言しない言い回しをしていたのです。

正直なところ、自分ではなかなかうまい立ち回りができているなと思いましたが、これがどうやら仕事においてはこの立ち回りがうまく機能しないということに気づきました。でも、なぜそれが機能していないのかはわかりませんでした。

今はもうわかりましたが、その理由は、わたしのこの立ち回りは、意見ではなく反応だったからです。

ツイッターなどで発信していると、あたかも自分の意見を言っているように錯覚してしまいますが、意見というのは「自分のポジションを明確にしていること」なので、ポジションを明確にしていない発言は意見ではなく反応なのです。

なぜわたしが意見ではなく反応をしていたのかを分析したところ「自分が否定されることを恐れていたこと」、「意見には正しい意見と間違えた意見があると誤解していたこと」、「考えることが面倒くさくて怠けていたこと」だということがわかりました。

自分自身では意見であると思っていたツイートが実は意見ではなく反応であることに気づいたように、わたしのツイートに対するリプライにも、自分のポジションを明確にしない反応とポジションを明確にしている意見の二種類があることに気づきました。

その気づきによって、わたしのツイートに対し「賛成か反対かのポジションを取らずただ反応してきている批判的なリプライ」については別に心を悩ます必要がないし、反対に、「ポジションを明確にした意見で、かつ、感想ではなくなんかそういうデータで語っているリプライ」については正面から向き合う余地あり。とスクリーニングできるようになったのです。

ひろゆきさんの言う「あなたの感想」と「なんかそういうデータ」の違いはわかりやすいのですが、反応と意見は選別がつきづらかったため、今までリプライに頭と心を悩ましていましたが、このスクリーニング方法を知ってから、ウソのように今まで感じていた悩み苦しみから解放されたので、その効果と喜びをみなさまにご共有させていただきたいと考えこの記事を書かせていただきました次第です。

この記事の考え方が少しでも多くの人に広まることで、かつてのわたしのようにSNSで悩み苦しんでいる人たちが一人でも減りますことを心の底から祈念しております。

こちらの記事をご覧になられているみなさまと、いきとしいけるものが幸せでありますように、悩み苦しみがなくなりますように、願いごとがかなえられますように。

以上です。

それではみなさまごきげんよう。やけに仏教に詳しいあの人でした。